『おひとりさま新聞』

第12号  2022年8月発行

おひとりさま通信 第10号 です

地域包括支援センターからの

問い合わせが増えています

~一緒に身寄りのない高齢者の支援のあり方を考えるきっかけに~

 

 このところ、各地域の地域包括支援センターからの問い合わせや依頼が増えています。地域包括支援センターは、地域の高齢者を支えるために介護予防、総合相談、包括的・継続的ケアマネジメント、権利擁護の4つの業務を行っています。身寄りのない高齢者の孤立を防ぎ、本人の意思を尊重しつつ生活を支えることは重要な権利擁護です。しかしながら、ほとんどの地域包括支援センターでは、この問題に公的機関としての制度上の制約から対応ができていないのが実情です。

    NPOなどの身元保証に頼らざるを得ないほど相談が増加

 2018年に全国の地域包括支援センター3133か所(有効回答数776)に行った調査(『身寄りのない生活困窮者に対する支援手法に関する調査研究』)によれば、1年間の新規相談の中に身寄りのない人からの相談があったとする地域包括支援センターは86.6%になっており、近年その数は急増しています。しかし、図に示すように、そうした相談に応じられず断ったとするセンターは、身元保証で95.1%、金銭管理で64.8%、死後対応で63.0%にもなっています。断らずに対応したセンターのうちNPOおひとりさまのような民間の身元保証人に依頼したと回答したセンターは4割を占めています。

 

NPOと行政・地域包括支援センターとが協働をするとき

 身寄りのない人の問題は権利擁護である以上、公的な責任で対応することが本来の姿です。しかし、緊急時の呼び出し対応から死後の事務処理の対応まで継続的にマンツーマンで支援していくことを公的サービスや地域住民のボランティアでやるというのには限界があります(危険ですらあります)。公的な責任と誰が具体的なサービスを担うのかは別に考える必要があります。いま目の前にある身寄りのない人が抱える困難を放置するわけにはいきません。ここに利益を優先しないNPOの出番があります。行政や地域包括支援センターも、いまこそ、おひとりさまのようなNPOと協働しながら、あるべき身寄りのない人の支援のあり方を一緒に考えていくときであろうと考えます。

 

 

新型コロナ禍の下での利用者様のご様子~第2弾~

 

 NPOおひとりさまでは、緊急事態宣言が発令されていた5月の連休明けに、本法人からのお知らせ文書と併せて、お出掛けになる機会がありそうな、お元気な利用者様50名ほどに、不織布マスクを5枚ずつ同封して送らせていただきました。アベノマスクも届かないマスクが不足していた時期でしたので、皆様大変喜んでくださいました。何人かの方はお電話をくださり、「買い物には行かなければならないので助かっている」とお元気な声を聞かせてくださいました。また、ある病院の看護師さんからは「(利用者様が)届いたマスクを大事にしてみえますよ」との報告も受けました。

 

お電話をくださった中のひとりがくみ子さん(仮名・85歳)です。名古屋市郊外のご自宅で、おつれあいと共働きをしながら2人暮らし(子どもなし)を続けてきました。退職後は、読書、映画、庭づくり、旅行等などそれぞれの趣味を満喫しておられました。しかし、5年前、おつれあいが病気を患い施設に移られたことで、くみ子さんはひとり暮らしになってしまいました。子どもさんがないこともあってこれからのことがいろいろと不安に感じ、昨年「おひとりさま」の身元保証をお2人で契約されました。くみ子さんは、おつれあいの好物を準備して、毎週末、面会に行っていました。そんな折、新型コロナのため、4月から施設は面会禁止。おつれあいに会えない日々がもう3ヶ月も続いています。くみ子さんから久しぶりにお電話がありました。「申請した給付金の10万円をおひとりさまに寄付します」と。ご夫婦で会うことすら許されない寂しい日々の中、くみ子さん、ありがとうございます。大切に活用させていただきます(文責:支援員 富田千草)。

父親を見送って~Yさんと息子さんたちの思い出~

                             支援員 尾頭 澄雄

 

 毎年この時期になると、以前支援したYさんのことが思い出されます。Yさんはまだ78歳でした。埼玉で生まれ、妻と息子3人と暮らしていたそうですが、事業の失敗で家族とは離別し、契約当時は熱田区の実兄宅近くで単身生活を送っていました。当法人とは、熱田区の生活保護対象者として、生活支援・身元保証・金銭管理の契約をしました。すでに尿毒症で入院していたYさんから、「ラジオが欲しい」「補聴器をレンタルでもいいから手に入れてほしい」と頼まれたことが思い出されます。いったんは退院して施設に入所しましたが、その後再び入院し亡くなられました。契約した日からわずか4か月でした。臨終間際に連絡が取れた東京在住の長男さんが、その日のうちに深夜バスに乗って駆けつけ、父親の病室のベッドに寄り添って翌朝まで見守ってくれました。「最後に親孝行ができた」と感謝されました。

 

 葬儀には海上自衛隊勤務の次男さんも、横須賀港に着いたばかりのところに連絡を受け駆けつけました。さらに三男さんも加わり、これまで音信不通になっていた兄弟3人が揃うことになりました。「父親が兄弟3人を呼んでくれた」という息子さんたちの言葉が印象的でした。息子さんたちは帰郷する前に名古屋駅地下街で、「父とのお別れの会」を持ち、私も招いてくださいました。ささやかでしたがとてもいい会でした。ご遺骨は伊豆の墓地に永代供養されたと後日連絡をいただきました。