心のこもった支援

夫婦で一緒に入所できた

森下俊治
森下俊治

 北区のSさん夫婦のお話です。お写真のお二人の表情はとても穏やかで良い感じですよね。お久しぶりのご対面の場面です。

 というのは、数年前に奥様が近所の老人保健I施設に入所され、旦那様は自宅から時々面会に行かれていましたが、昨夏、暑さ対策のショートステイで体調が悪い上、ベッドから落ちて、名古屋医療センターに緊急搬送、そこで大腿部骨折と他の病気が見つかり、点滴のみの状態に。その後点滴が入らなくなり、困ったことになりそうな状況もありましたが、リハビリへの本人の前向きな意欲と姪御さんのサポートで、何とか持ち直して今春に介護付きの老人ホームに入所しました。

 追うように奥様も転居され、離れていた時間を埋めるかのようなお姿が周りに感動の時間をもたらしたのが、この時の再会の写真です。部屋は違いますが、いつでも会える一つ屋根の下の環境で優しい施設のスタッフに囲まれ、これからも夫婦仲良く暮らしていくことでしょう。

                         支援員 森下俊治

万が一支援と後見制度

大森照和
大森照和

 当年92歳のMさんは、車椅子の生活ながら、元気に過ごされていました。一昨年、奥様を亡くされて間もなく、自宅で倒れていたところをヘルパーさんに発見され、緊急入院されました。約半年の入院後、自宅での自立生活が困難との病院の判断で「おひとりさま」に支援を求められました。

 介護付き高齢者住宅に入居時、「おひとりさま」と「万が一」支援を含めた契約をされ、主に、自宅の見回り、郵便物の回収、外出時の同行等の支援や、自宅での自立生活が困難なお子さんについて種々の届出等のお手伝いをしています。また、日常的な事務手続きについては、Mさんご本人の負担が軽減されるような方法を提案しています。

 現在、ご本人の健康状態、認知症の症状等に不安があるため、後見制度の利用をお勧めし、弁護士に依頼し手続きを進めています。

 記憶が曖昧になり、感情の起伏も大きくなる中、支援の内容に不満を言われる場面が増え、今後はより時間をかけ丁寧に、ご本人の意思を尊重し、できる限り要望を実現できるよう、本人に寄り添った対応を心掛けていきたいと思っています 。             支援員・大森照和

 

豊川市へ通いながら支援を続ける

山口宏明
山口宏明

 Hさんから私への相談は「疎遠になっている兄が入っている老人ホームから『相談したい』と言ってきているが、どうしたらいいか分からない。電話も掛けづらい」でした。詳しく聞くと、お兄さんは若い時に親に反発して家を飛び出しその後音信不通に。十年ほどたって、仕事で指を負傷、精神にも変調をきたし統合失調症に。住民登録のあった名古屋の区役所の福祉課の助けで寮生活を送り、その後豊川市の老人ホームに転居。このたびその施設から「要介護3で常時介護の対応が難しくなったので、当施設を退去して別の特別養護老人ホームに移ることになるので、その際の身元引受人を」求められたということでした。Hさん自身も健康を損ない、長年続けた個人タクシーを廃業する状況で、疎遠にもなっていた兄の援助も困難だとの訴えでした。

 身元保証を行っているNPO団体からの費用見積書も用意されていました。事務局では、「NPO法人おひとりさま」と打合せ、遠方の三河部ではあるがHさんが私たちを信頼して相談をされたことで、ぜひお兄さんの身元保証、生活支援を「NPO法人おひとりさま」が引き受けることを決めました。  

 病気と怪我がもとで身体障がい者、精神障がい者となり、わずかな障害者年金で介護をうけながらのお兄さんの生活は厳しくなることが予想されます。

 今後、福祉施設、行政の力も借りながら余生を送られるよう見守ってゆくことになります。              

                        支援員 山口宏明 

「本人の自己決定権を大切に」

安藤満寿江
安藤満寿江

 春日井市のケアマネジャーIさんは、この数年、パーキンソンを患い転んでは入退院を繰り返す一人暮らしの80代・男性Tさんを担当してみえます。退院をひかえてのケース会議、車イスのTさんは自宅へ帰ることを強く要望。Iさんや病院のソーシャルワーカーさんたちが「施設に入所してリハビリを続けましょう」と勧めても「家に帰るためにリハビリをがんばっている」と固辞されます。2度目の会議でTさんはやっと納得され、おひとりさまの身元保証の契約書にサインをされました。

  2週間後Tさんの通院のためショートステイ先に出向くと、「ここはコーヒーも出るよ。手もこんなにきれいになった」と喜んでみえました。そして通院は車イスでなく杖でOKに。

 訪問介護を受けながら、住み慣れた自宅での一人暮らしが一番かもしれません。でも、ご病気の方には施設が必要です。それにしても、ケースワーカーの方々が、説得するのではなく、「決めるのはご本人」と気長に待たれていたことにいたく感動しました。1ヵ月後の通院支援でTさんにお会いするのが楽しみです。            支援員・安藤満寿江

「やっと故郷に帰れたKさん」どうですか

尾頭澄雄
尾頭澄雄

 Kさんは長野県出身で、大正14年生まれのかくしゃくたる女性でした。名古屋の銀行社員寮でまかないの仕事をされてみえました。私どもとの契約は「生活支援」で、病院への同行が中心です。まだ新聞を読みたいとおっしゃり、眼鏡屋へ同行したこともありました。彼女の意欲的な生活ぶりは〝凛〟としていました。学校の先生タイプという印象が強く残っています。

 「身元保証」は、姪御さんがされており、いずれ「老人ホーム」へ入所することもご本人を含め相談されたこともありました。そんな彼女が5月に突然、中村日赤病院で心不全で亡くなられてしまいました。偶然、姪御さんがお見舞いにみえたその日でした。

 すぐに近くの斎場でお通夜が執り行われ親戚、知人11人の家族葬でした。身内同士のご相談もあるようなので、私は遠慮して失礼するつもりでしたが、「長い間世話していただいたので、一緒に食事を」とのお誘いを受け、Kさんの思い出話になりました。「本当は故郷に帰りたかったのでは?」との話題になり、本音はどうだったか…。それはご本人しかわかりませんが。

 翌日、Kさんを乗せた霊柩車は永年お世話になったデイサービスの前を通り関係者に見守られながら火葬場へ向かいました。故郷のお墓に納骨され、「やっと帰れた」とご本人はさぞかし満足だったのではないでしょうか。                       支援員・尾頭澄雄